湯浅氏の居館であった石崎屋敷は、山田川河口に形成された潟湖(ラグーン)を望む高台に位置していました。中世前期の湯浅は海が深く入り込んでおり、石崎屋敷は水陸交通の結節点として重要な役割を果たしていました。
山田川の流れが蛇行して西に流路を変える地点に位置し、北西に接する小字宮川の南部は窪地状の地形でした。この場所は潟湖の最奥部にあり、湊としての機能も備えていました。
主屋は切妻屋根の武士の居館としての様式を持ち、別棟には納屋や客人のための宿泊施設があったと推定されます。熊野古道(浜手道)が屋敷のすぐ西側を通過していました。
湯浅宗重・宗景親子の本拠地としてだけでなく、明恵上人による涅槃会の開催場所であり、産土神が勧請されるなど宗教的な役割も果たしました。また、熊野詣の貴族たちの宿泊施設としても使用されました。