(西邑幸氏所蔵より抜粋・掲載)
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また、鍛冶町から戻ってスタートします。ここから呉服屋さんが多く出てきます。湯浅らしいですね。京喜屋さんです。よく知っています(^^)筆者が今住んでいますから。昔、骨董品を売っていたと聞いていましたが、仏壇も販売修理していたのですね。『京喜の呉服屋』さんで皆さん認識していると...子供服も売っていましたね。写真の家は今どうなっているんでしょうか?という点ですが、左の庇の破風板から見ると家は東向きなので、向かって左側(南)の写真ですね。
三枚目の写真の一階の庇と破風板から考察すると、手摺りと室外機を設置している場所に看板があったのでしょうね〜筆者が知っているだけでも昭和50年代から三回リフォームされています。
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ここも建屋が残っています。清水米穀店の前。『三尾川の毛糸屋』さんという方が馴染深いでしょうか。基本的に昔のまま残っていますので(また生活されていますので)、ぜひ残して欲しい物件です。つし二階の漆喰仕上げ格子窓が特徴的で、かつ鬼瓦(多分寺嶋瓦)も昔のまま残っています。建屋は明治はじめか、江戸末期かもしれませんね。糸屋、呉服屋さんのイメージが強いですが、昭和五年の写真を見ると醤油樽でしょうか、油を扱っていたのでしょうか? 醤油の醸造販売だったかも...湯浅は面白い町ですよ。
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屋号は看板のごとく【やまと】さんと言えば、今も分かりますかね?場所はえびまつ食堂の南側角と言えば湯浅の人は分かりますかね?この建屋は丁寧に修理しながら現在も残っております。垂木にも白漆喰を施し、重厚な感じです。肥料屋さんなんですね。看板を見てもイワシの肥料でしょうね。(江戸時代、この肥料の商いで樽廻船が関東に広がり、湯浅から多くの豪商を輩出しました)
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京喜屋さんに続いて呉服屋さんです。【やまと】さんのお隣ですね。多分一件挟んで...菓子屋さんが千川さんなのですが(コメント欄の写真)、もとは隣の鈴木米穀店(今更地に...)さんの場所で呉服屋をされていたのかと推測しています。今度、近所の人に聞いてみるとしましょう。格子に鉄製が使われ始めて、当時としてはモダンな部類に入るのでしょうか? もちろんハンドメイドでしょうね。
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ここも分かり易い場所かと思います。近くです。キセイの隣!湯浅英数学館の斜め前です。現在でもご商売をされている【宮井プロパン店】さんです。場所も変わっていません。流石に建物は変わりましたが...平屋で出格子も綺麗な筆者も好きなフォルムですね。原本の写真を見ていただくと、「宮井石炭店」と看板が出ています。ずっと燃料を扱っているのも歴史ですね。
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市間呉服店さんですね。説明不要でしょうか?有名ですね。写真の精度も上がってきて自画自賛(^^)鉄製の手摺が当時としてはモダンになってくるのでしょうか?デザインも各家個性的で...後から写真も2枚追記します。山家町【大宮通り】の拡幅工事の写真(ビフォーと工事中)は(前に紹介した)大正5年でしたかね?さすがに写真の建物は建て替えられていますが、現在も呉服商です。場所も変わらず素晴らしい...子孫の方が人を通じて写真を喜んでいただいているとお便りをいただき、私も嬉しいですね。
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ここも説明要らないですよね。今は廃業されていますが...名前を聞くだけでも懐かしいですね。確か現在、裏は隠れ家スナックに(爆笑)裏の建屋は古いので残っている可能性もあります。この建屋も明治初期か江戸後期の面持ちですね。今でしたら町中が保存物件ですね。筆者が思うに、昭和初期は道町・東大宮通り(山家町)が商売の中心地だったのでしょうね。薬屋さんの看板も面白いですね。衛生相談所 西村薬房 nishimura drug有名売薬 染料薬品 柑橘駆虫薬噴霧器各種 純良薬品 衛生材料滋養強壮剤 工業薬品 ヨクキククスリ何でもありますね。(筆者の主観が多くなってきています💦)
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ここも市間さんです。この建屋は残っていると思います。コメント欄へ写真貼っておきます。(二階の袖壁を見てください。この建屋と思います。綺麗に修復されています。伝建地区外ですがすごいですね。)市間本店と一緒なのか親戚なのか私は分かりませんが...昭和40年代にこの前にも市間釣具店があったり、道町との南角にichima洋服店があったり、市間さんばかりですね。建屋は質実剛健で幕板も特徴的でピシッと決まっています。また、軒が長いのも特徴的です。看板は『呉服太物』と大きく描かれ、市間と洋反物の文字が...生地や反物を扱っていたのかな?前で仕上げて...誰か詳しく教えてください。
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やっと洋品店登場です。やはり昭和5年となると、圧倒的に着物が多かったのか? 洋服は自宅で洋裁で作ったのか?場所は『ブティック リノ』さんか?その隣になりますね。いつまで西岡さんがあったのか筆者の記憶に無く、申し訳ないです。最近思うのですが、「つし二階」や「虫籠窓」は当たり前ですが、軒が長いのがひょっとしたら江戸後期の湯浅建屋の特徴かもしれませんね。この建屋も古いです。設計士の先生方、いかがでしょうか。この建物は長くないですが...写真の窓の形が原画と変わってしまいましたがご容赦ください。
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「トギフジ」さんです。懐かしいですね。筆者の同級生のお宅で、間口も広いですが奥に純和風の建屋があり、子供の時に遊びに寄せていただきました。立派な家です。写真の加工で軒瓦の色と看板がブルーになってしまいましたが、当時の雰囲気を醸し出していると思います。昭和の高度成長期から洋服店のイメージが強く残っておりますね。特にブランド物の男女の服がメインで、ショーウィンドゥに学生服のカッコいいのがディスプレイしてあり、毎日眺めていました。通りに面した前は改装されてレンガ外壁になっていますが、建屋の後ろは当時のまま残っているかも。違う色付けの写真もコメント欄へ貼っておきますね。
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いわゆる湯浅でも皆さんご存知「赤のれん」さんです。看板も赤になりました。今でも商売されている老舗さんです。綛田勝実商店さんです。福助足袋の看板が良いですね。筆者の資料ではこの写真の場所がトギフジさんの隣...蔵町の突き当り【宮井書店】さんの所になっているのですが...どうなんでしょうか?記載間違いか...宮井書店さんの建屋も古く、また写真の屋根の感じも違うので疑問に感じています。また筆者は、赤のれんさんの場所は旧大谷耳鼻科の前、ヒトミ屋靴店の向かいの認識なのですが、この建物も写真の建屋と違うようにも感じます。昭和5年の赤のれんさんはどこにあったのか?誰か教えてほしいですね。呉服店が多いでしょう...湯浅町
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説明不要かと思います。関根さんのところも歴史が古いのですね。現在、写真の場所は更地になっていますが、横に小路があって東へ入っていくと店が沢山あり(八百屋・寿司・パン屋・魚屋・風呂屋・マッサージなど)、コンクリ町や西南道へ抜けたり、迷路みたいになっていたのも湯浅の特徴ですね。今、店舗はオークワ(ユピア)から有田川町の中心地に移って現在も商売繁盛です。湯浅から有名店が他町へ移っていくのは凄く寂しく感じています。前をショーウィンドゥ風にガラスにし、下をタイル張りにしているのはおしゃれですね。シャッターとか無い時代だと思いますが、夜は木戸をはめ込んだのでしょうか。
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ここも説明要らないぐらい有名でした。店の表だけ直していますが、建物はこのまま残っていると思います。(写真の人物描写が不安定ですが、コメント欄へもう一枚アップしておきます)さて、昔から知っている樹定薬局さんですが、骨董物?(貴重な郷土資料)がかなり屋敷内にあったと聞きますね。また筆者の叔母からも戸主の奥さんから聞いた(相談を受けた)と...(もう二人とも故人です)その頃、見せてもらっておけば良かったと...行政で保存しておけば、また湯浅史に違う発見があったかもと後悔しています。(その頃、筆者はあまり興味がなかった)猫好きの奥さんが薬局を営業中も、古物商の人とかの出入りも多数あったと聞きましたね。奥さんが亡くなられて空き家になっていましたが、中の整理で業者が来て殆ど無くなっていたと聞いています。うーん、残念ですね💦 湯浅を描いた大きな屏風もあったとか...薬・医療道具の古い品物や...建屋だけは残って欲しいと個人的に思っています。
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当時は最先端?のガラス屋さん登場ですね。場所はトギフジ新ビルの角ですね。写真の左が道町、正面が蔵町という説明で町内の方は理解できると思います。看板に樹定南店って書いてあるので、樹定さんが橋本姓なので経営していたのか?親類か?勝手に推測しています。昭和初期と言うことで、当時大正ガラスからの製造法転換期で、この後、各家庭にも普及していく夜明けの時代でしょうね。明治時代は殆どがベルギーや外国からの輸入で非常に高価な品物だったかと...江戸時代はビーゾロやギヤマンって呼ばれて、簡単に書いたら厚みの均一性が難しく、歪んで見えたりするのですが、それが現在アンティークとして人気があったりしますね。このシリーズでガラス戸やショーウィンドも沢山見られますが、高かったんだろうなと想像しています。筆者の子供の頃はもう普及していましたが、ガラス障子を割ったりして(薄い)、北野ガラスさんが交換に来てくれましたね。スッとカッターで線を入れて(傷)、トントンと叩くとカットできる技は不思議に思って、店まで見に行った記憶があります。思い出しました。
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ちょっとマニアックに書いてみます。暖簾に注目して欲しいのですが、『御菓子司▓かせ仁』、真ん中は山にエの屋号と書いてあります。場所は樹定の横、橋本治右衛門の斜め向かいです。かせ仁の屋号も頭に引っかかっていたので調べてみました。コメント欄へアップしますが、三件は一家(イッケ)かと思います。筆者の推測なので、間違いは指摘よろしくお願いします。明治初期の土地の所有者が一緒です。ぜひコメント欄を参照してください。
豪商案内に橋本定右衛門 薬と砂糖・・・場所は樹定とカセ仁の隣どおしです。 薬局と砂糖(御菓子屋)でそのままですね。古いものが残っていたハズです。
土地の所有者⑳番 橋本定右衛門 紹介した樹定 かせ仁 橋本ガラスの場所です。
屋号 綛屋(綛仁) 橋本仁右衛門 仁右衛門と定右衛門さんは親子? 兄弟と思います。
最後に南紀湯浅誌より これは関係有るか無いか不明ですが江戸時代に幻の西台寺から地蔵菩薩像と不動明王像を持ってきたのが下ノ右衛門(中町) 『綛屋仁右衛門』の事なり!!って書いてますね。 この綛屋と明治初期の綛屋(綛仁)と一緒なのでしょうか?? 橋本では無く下野姓ですが・・・ ほんまに歴史は面白いですね。
写真:昭和22年(1947年)の国土地理院航空写真(一部カラー化)
国土地理院の昭和22年の航空写真が出てきたのでカラー化してみました。色々楽しんでください。伝建地区、湯浅町内、栖原、青木別所など。